ほかりみのるのアボリジニの世界へようこそ!

第4回 グリンジ・カントリーへの道のり:
アボリジニは旅人か?

ブルース・チャトウィンというイギリス人が書いた『ソングライン』という本があります。英語圏でベストセラーになり、日本語にも翻訳されました。とてもいい本です(と言っておこう)。僕は、1994年に初めてオーストラリアを訪れたときに、ダーウィンで出会った日本人にすすめられて、まず英語版を読み、でも当時の語学力では半分くらいしか理解できず、後になって翻訳があることを知ってそれを読んだのですが、その時は一気に読んでしまった。

僕はその頃、移動生活に対する憧れのようなものが強くあって(今もあるのだけれど)、そこでこの本のなかのチャトウィンの問いかけ、「人はなぜ旅(放浪)したがるのか?」に自分をつなげていたように思います。ちなみにチャトウィンは、英語圏ではよく知られた旅行記作家です。残念ながら中国で患った風土病が原因で、『ソングライン』出版後まもなく亡くなりました。とにかく、この本のなかで、チャトウィンは、アフリカにおける人間の起源にたちもどり、もともと定住型ではなく、移動生活を前提にした進化を遂げた動物である人間(ホモ・サピエンス)には、根源的に旅(放浪生活)への希求があるのではないかと考えたようなのです。そして、現代に生きる移動生活民、アボリジニのことを知るためにオーストラリアにやってきます。

チャトウィンがオーストラリアで出会うのは「ソングライン」と呼ばれる歌の道です。アボリジニは、オーストラリアの大地をかけめぐるこの歌の道を「地図」として記憶している。これは、アボリジニの間で先祖代々伝わる物語(神話)です。祖先の神々である動植物が、オーストラリアの大地に出現し、地上の景観をかたちづくり、水場や食糧を後世に残します。そして、この物語は歌によって語り告がれ、その歌の道筋を頼りに移動してさえゆけば、食糧や水場に困ることは無い。アボリジニは、代々受け継がれてきたこの歌の地図を使って、オーストラリアの大地を自由に旅することができる、というわけです。僕がアボリジニの移動生活のあり様に興味をもったのも、こんなチャトウィンの考察がどこかで影響していたように思います。

ところが、その後多くの文献を読み、そしてグリンジの人々と約1年にわたって共に生活し、たくさんのことを学び経験した今、僕はチャトウィンと全く正反対の結論に達しました。それは、「アボリジニは旅人なんかじゃない!」というものです。

歌の地図としての「ソングライン」は実在します。僕はそれを実際に体験したし、グリンジの長老達と一緒に何度も歌いました。彼らは歌を歌いながら、今の歌詞はグリンジのカントリーのどのあたりを歌っているのか、何について歌っているのかを僕に説明してくれました。本当は、ソングラインのことを詳しく説明するためには、「ドリーミング」と呼ばれるアボリジニの思想(法)に触れないわけにはいかないのです。が、それはあまりにも問題が深く、複雑なので、今回は扱いません。ただ、ハッキリさせておきたいのは、このアボリジニのソングラインは、「未知の土地を旅するための地図」では絶対にない、ということです。

というのも、歌の知識だけでは、特定の水場や狩場にたどり着くことは不可能だし、そうでないと困るのです。ソングライン、つまり「歌の地図」は、確かにその地図上に暮らす者にとっては、具体的な場所をイメージできるのですが、それ以外の人にとっては、水場、聖地、狩場に関する漠然とした情報以上のものではないのです。というわけで、自分の知らない「未知の土地」を旅するためには、そこの「歌の地図」の所有者・生活者とその精霊の許可を受けて、その土地を彼らと共有しなければなりません。つまりソングラインは、「未知なる土地の道しるべ」ではなく、その反対に、各自の暮らしの場所を確認し、そこをお互いに訪問しあい、共有するための「地図」なのです。

アボリジニは自分のカントリーを隅々まで知りつくしています。それは自分と家族が暮らす広大な「家」のようなものです。自分の暮らす土地を移動することは、旅でも放浪でもなく、我が家での日々の暮らしなのです。ただし、この広大な「家」は、自分が好き勝手できる「私有地」なのではなく、周囲の人々や動植物、さらには聖霊達と共有する場所でもあります。だから、 ―実はここがすごく重要なんだけど― それぞれの「家(自分のカントリー)」は、お互いの私有地として分割されているのではなく、むしろ、常につなぎ合わせて共有するためにあるのです。だってソングラインは、それぞれのカントリーの地図をつなぎ合わせることによってオーストラリア大陸を縦横断する広大な「歌の地図」つくりあげるんだから。

アボリジニは放浪しません。移動生活民は絶対に放浪しないのです。彼らにとって、好き勝手に放浪することは、共有の精神に反した自分勝手な行為です。だから日本人を含めて、世界の定住型民族の「旅好き・放浪癖」は、聖霊や隣人と共有する広大な大地としての「家」をもたず、壁に囲まれた小さな箱、「建物としての家」に我が家を限定された人々に特有の(つまり人間の起源とは無関係な)比較的新しい欲求であるように僕には思えます。

僕らがアボリジニから学ぶべきことは、「旅の思想」や「放浪生活」ではなく、「壁なき家での暮らし方」なのです。そして、「壁なき家」を獲得するために必要なのは、おそらくは「共有の思想」なのだと思います。最後にとってつけたように言いますが、僕はそれでもチャトウィンの『ソングライン』が大好きです。チャトウィン自身が、旅する生活の価値を深く理解していたことは疑いようもない、と思うからです。

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